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文サ連の歴史


 このページは、広島大学文化サークル連合の歴史を探求するページです。記述方式は編年体で、とりあえず「年表」方式でおこないます。ちょっと書くのにためらう部分はカットしました。まあそれ以前に分からない部分のほうが多いです。情報求む。
◆前史◆
◎1960年代、広島大学教養部自治会傘下の「文化局」が文化系サークルの全学組織であった。(いつ頃からのことなのか作者知らず)
大学紛争の時代にいたると、広大内部の学生組織は、分裂と解体を繰り返した。
◎教養部自治会文化局も大学紛争の最中に自律的に解体した(詳細不明)。
◎文化局の中でも比較的ラジカルな部分が「芸術闘争委員会」(芸闘委)を結成し、広大全共闘の下で1969年の広大闘争を闘った(らしい)。
1969年度
◎8月17日、バリケード封鎖中の広大に機動隊が導入され、広大全共闘が解体するとともに、芸闘委も解体されていく。
◆発足期◆
◎同年10月、芸闘委で活動していた学生サークルが、新たに「広島大学文化サークル連合」を結成し、サークル運動体として機能しはじめる。
1970年度
当時のサークル
1.生協理論研究会       15.演劇研究会
2.科学技術問題研究会     16.写真部
3.部落解放研究会       17.放送研究会
4.破防研究会         18.美術部
5.教育理論研究会       19.前衛芸術研究会
6.社会科学研究会       20.実験音楽集団
7.戦没学生記念会(わだつみ会)21.広島大学フォークゲリラ
8.労働問題研究会       22.現代音楽研究会
9.研究集団          23.落語研究会
10.歴史学研究会        24.ポップス研究会
11.アジア研究会        25.ヒロシマのバラ
12.毛沢東の中国を考える会   26.沖縄問題研究会
13.憲法研究会         27.現代史研究会
14.映画研究会         28.文芸部
1971〜73年度
◎(資料不明)
◆再編期◆
1974年度
◎これ以前の文サ連執行部は崩壊状態(?資料不明)にあり、その再建が深刻な問題となっている。
◎『内部通信』創刊号(75.1.29)で大学祭(実委)に対する批判が行われたらしい(詳細不明)。
◎『内部通信』2号(75.4.30)で代表への「公開質問状」が出されている。代表の不信任にまで言及するシビアな内容。
1975年度
◎執行部が確立。
◎学内でキャンパス「移転問題」が浮上してくる。
◎研究会4サークルの除名問題(サークル名は不明)。
◎女解放研「赤いまゆ」の加盟問題。 
◎「旅行研究会」加盟。
◎大学祭に対する批判は強まり、9月1日付で大学祭実委に対する「質問状」が出されている。
1976年度
◎『文サ連通信』創刊号(76.6)。
◎夏期合宿(黄金山荘)。
◎大学祭にも積極参加。
三項目要求(時間制限撤廃、森戸道路開放、授業カット)署名運動
1977年度
◎「アクリル水彩同好会」の加盟。
◎秋期合宿。
1978年度
◎この年、落ち込んでいた会員数が回復。
◎この年の大学祭への参加は「市中パレード」「案内郵送」など積極的。
1979年度
◎六月合宿
◎各局より基本方針出る。
◎「移転委員会」設置。
◎「文サ連の理念」原案。
◎生問委赤字問題(?)。
◎文サ連規約改正案。
◎大学祭で「移転シンポ」。
◎「女性解放研究会」「映像研究会」加盟。
1980年度
◎「活動基本方針案」。
◎大学祭で「移転企画」。
◎「企画情報研究会」加盟。
1981年度
◎大学祭「オールナイト企画」。
◎1月、「文サ連総会」開かれる。
◆移転過渡期◆
1982年度
◎【大学】工学部が西条キャンパスへ移転
◎(資料不明)
1983年度
◎六月祭企画の映画が女性差別ではないかという提起を受けて、問題化した。議論の結果、「試写会」というかたちで上映。
◎「新サークル棟署名運動」。 
◎7月、文サ連合宿。
◎大学祭で「移転シンポ」。
◎3月、西条の工学部生による「第一回文サ連合同展」開催。
1984年度
◎チーフ会の出席率が問題に。文サ連に対するサークルの不信感も。年度中4回の流会。
◎六月祭企画の「ギャルコンテスト」が女性差別ではないかという提起を受けて、問題化した。
◎夏期合宿(三滝寺)。
◎11月24日、管孝行講演会。
◎「課外活動運営に関する規程」制定。西条新サークル棟運営のために芸文連が結成される。
1985年度
◎4月19日、新歓オリエンテーション。
◎(資料未整理)
1986年度
◎六月祭企画「ボリビア映画祭」
◎61年度施設要求。
  西条サークル棟。
◎【大学】学生部長選考規程改定。
◎新サークル棟増設分に関する要望書
1987年度
◎「昭和62年度サークル活動要望書」提出。7月20日提出。11月10日回答。前文及び28項目。
  1.新サークル棟増設分の情報について。
  2.新サークル棟の時間制限の緩和。
 など。
1988年度
◎「昭和63年度サークル活動要望書」提出。7月18日提出。9月29日回答。前文及び19項目。
◎12月16日、「文サ連加盟に関する細則」「加盟サークルに対する金銭的援助に関する細則」「サークルの権利及び義務に関する細則」制定。 
◎【大学】将来構想検討委員会中間答申
◎教育学部移転後の施設継続使用問題 
◎助成物品276,100円。前年下回る。
1989年度
2期整備分(新サークル棟増設分)内装要求。
◎西条キャンパスの代替施設要求。
◎6月ごろ、総合科学部に「貼紙禁止」ステッカーが貼られる。
  壁に貼った紙が即日剥がされるようになる。
◎「平成元年度サークル活動要望書」提出。7月15日提出。10月25日回答。前文及び35項目。
◎大学祭で「移転シンポ」(大学祭実委)。
1990年度
◎「貼紙禁止」撤回署名。6月13日、総科学生生活委員会との交渉。
◎リーゼミ。7月1日、三者、五者、芸文連。
◎「1990年度サークル活動要望書」提出。7月16日提出。10月30日回答。前文及び27項目。 
◎9月、法務省公安調査庁中国公安調査局によるスパイ事件発覚。
  文団連議長ふくむ広大生2名がスパイ協力。新聞報道にも発展。
  「広大生へのスパイ行為強要に抗議する声明」
  10月、「公安調査局が行ったスパイ活動に対する抗議・弾劾声明」
  【大学】構成員に自戒を求める学長声明。
◎西条マップ作成。
◎12月17日、学生部長との貼禁撤回交渉。
◎パンフ差別語問題。
1991年度
◎4月11日、「スパイ事件」に関して、広島弁護士会・人権擁護委員会へ申し立て。
◎文サ連独自オリエンテーション企画。
◎「1991年度サークル活動要望書」提出。7月10日提出。11月29日回答。前文及び22項目。
◎11月20日、助成物品交渉
1992年度
◎当時のサークル
1.アクリル水彩同好会      9.Noise in the Jap
2.生物(いきもの)会      10.美術部
3.映画研究会          11.広島大学演劇団
4.企画情報研究会(トマトハウス)12.広島リアルジャズ集団
5.現代アジア研究会       13.部落解放研究会
6.社会科学研究会        14.文芸部
7.写真部            15.落語研究会
8.新聞研究会
◎「平成4年度(1992年度)サークル活動要望書」提出。6月29日提出。11月25日回答。西条23、千田17、サ活全般3、学生生活4項目。
◎2期整備分内装、備品要求話し合い。
◎助成物品交渉、12月8日。最終的に定価で36万8千円分助成獲得。
◎芸文連機能停止。
  「課外活動共用施設運営委員会に関する規程」承認。
◎「平成4年度(1992年度)サークル活動要望書」再要望。1月19日提出。5項目。
1993年度
◎【大学】総合科学部が西条キャンパスへ移転
芸文連総会
  芸文連解散。西条五者会議(五者)及びサークル棟運営委に引き継がれる。
  五者規定の成文化。
◎「サークル活動要望書(西条提出版)」7月1日提出。8月23日一部回答。正式回答ついになし。
◎千田、プレハブ棟移転問題。
◎【大学】西条サークル棟2期整備分完成
◎新大学会館要望。10月提出。1月回答。
◎「文サ連加盟に関する細則」改正。
◎【大学】「広島大学学生生活に関する規程(案)」提示。
  「広島大学学生準則の停止に伴う学生団体、集会・行事、掲示・放送に関する暫定措置」の正式規程化を数年来「課外活動第2委員会」で審議していた。その案(旧案)の提示。
  五者としては全学生に関わる規程は、サークル団体では扱えないとの結論。大学側に「全学説明会」を要求。
◎「93年度サークル活動再要望書(西条提出版)」94年2月2日提出。2月18日、3月30日回答。
1994年度
◎【大学】文学部が西条キャンパスへ移転
◎【大学】西条サークル棟3期整備分(体育会ハウス)完成。
◎文サ連新歓独自オリエンテーション。4月21日、4月25日、5月10日の計3日行われる。
◎サークル棟使用延長問題で各大学へアンケート発送。
◎「1994年度サークル活動要望書」7月7日提出。年度内の回答なし。前文及び62項目及び別紙4。
◎第43回大学祭
  大学祭特別企画「〜きみは原理運動を知っているか」に協賛。
◎『広大フォーラム』に「広島大学学生生活に関する規程(案)」記事。
  『広大フォーラム』26期3号に学生委員会の「規程(案)」問題記事。26期4号で条文公開。五者は3回にわたって「全学説明会」開催要求を提出するが、26期6号記事で学生委員会は拒否。五者は制定規程を無視する方針。
◎学外への要望アンケート
1995年度
◎【大学】統合移転完了法・経済・学校教育学部が西条キャンパスへ移転。
◎「1994年度サークル活動要望書」返答。4月文書回答。5月16日返答会。
◎『広大フォーラム』27期1号に五者及び大学祭実委の「広島大学学生生活に関する規程(案)」制定に関する見解記事。
◎(以下の年代のことは、作者はほとんど知らない。情報求む&後人にゆずる)
1996年度
1997年度
◎「ラジコン研究会」加盟。
1998年度
◎当時のサークル
1.アクリル水彩同好会      7.新聞研究会
2.生物(いきもの)会      8.美術部
3.映画研究会          9.広島大学演劇団
4.現代アジア研究会       10.部落解放研究会
5.社会科学研究会        11.文芸部
6.写真部            12.ラジコン研究会
1999年度

[参考資料]「文サ連の歩み」




>文サ連の歴史INDEX(工事中)
■大学紛争
∇1960年代後半、学費値上げ反対運動や大学自治、ベトナム反戦、反安保、社会主義、ウーマンリブなどのさまざまな潮流の社会運動・学生運動が盛り上がり、キャンパスが荒れまくった。その時代の称。またはその時代の学生運動の総称。
■バリケード封鎖
∇1969年夏、広大全共闘(広島大学全学共闘会議)は、千田キャンパスをバリケード封鎖。8月17日、ついに機動隊が学内に導入され、バリケードは解体された。そのときのとばっちりで学生会館が燃えたらしい(千田キャンパスの体育館があったとこにあったらしい。学生側の失火が原因?で燃えた)。
 
■1970年度当時のサークル
∇当時の世相を反映して、社会問題を扱うサークルが多かったようだ。のち激減。音楽系サークルもあった。

■移転問題
∇手狭になった広島市内(千田、霞、東雲)のキャンパスを田舎に移して、学生たちに勉学だけさせようという大学管理側の陰謀(^^;;)。幾多の候補の中、東広島市西条鏡山の地が選ばれた。文サ連は広大の「筑波化」として長らく反対していたようだ。予定は遅れに遅れまくって、1995年に統合移転完了。広島市内には千田の法・経二部と霞の医・薬学部が残るのみである

■西条五者会議(広島大学五者会議)
∇もともと「広島大学五者会議」は、千田キャンパスにあって全学横断的サークル団体5団体の調整機関だった。その5団体とは、「広島大学体育会(体育会)」「広島大学音楽協議会(音協)」「広島大学文化サークル団体連合(文団連)」「広島大学文化サークル連合(文サ連)」「広島大学二部サークル連合(二サ連)」である。キャンパスの統合移転の進展にともなって、千田と西条に五者会議が分立することとなった。だが、法・経二部中心の二部サークル連合は、千田にとどまったままであり、「西条五者会議」には参加していない。かわりに、「広島大学大学祭実行委員会」が、西条ではオブザーバー参加している。1995年の統合移転の完了を期に、「千田五者会議」は機能を終えた。
∇ちなみに、「文化サークル団体連合(文団連)」と「文化サークル連合(文サ連)」は別組織である。ふたつに分かれている理由はやはり大学紛争時代に端を発しているようだ。むか〜し両団体の内部資料を読んだのだが、相矛盾すること書いていたような気がする(記憶が定かでない)。現在にいたっても一緒になれない理由で一番大きいのは、集金方法の違い。加盟サークルから毎年金を取る文団連と、全学会員制で会員から入学時に一気に金を集める文サ連では規約の統一が難しい。文団連の集金方法を文サ連に適用すると、半分のサークルがつぶれるだろう(その前に離脱するか…)。文団連と文サ連ではかけ持ちサークル員もおり、歴代トップ同士もさほど仲は悪くない。統一もけっして不可能ではないだろう。


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